京都工芸繊維大学の注目研究を毎月1つずつ紹介します。
  • 2024年7月

    世界初の3つの新しい遺伝子組換え蚕
    ~医療に貢献する「特殊な糸を生産する蚕」と「糸を吐かない蚕」の創出~(後編)

    小谷教授は、特定の有効成分のみを吐く蚕、さらには糸を吐かない蚕を作ることに成功されています(詳しくは前編(前編へのリンク)をご覧ください)。
    いずれも世界的には実現が難しいとされていた技術ですが、想定よりも早く実現できたとおっしゃっています。
    後編では、その成功の秘訣を伺いながら、研究の面白さや、この技術の先にある壮大なビジョンについて伺いました。

    新しい発見は「想定外の連続」から生まれる

    前編でもお伝えしたとおり、現在、セリシンだけを作る蚕、フィブロインだけを作る蚕、糸を吐かない蚕など、実現が難しいとされていた蚕を作ることに成功しています。

    (研究室で飼育されている蚕)

    糸を吐かない蚕自体は世界でも研究されていましたが、セリシンだけを吐く蚕と同じく実現が難しいものとされていました。

    仕組みとしては、蚕の糸をつくる内部器官、絹糸腺(けんしせん)の成長過程を止めることなどで糸を吐かなくさせるのですが、そうすると、その蚕は死んでしまいます。

    これが様々な研究者の大きな壁となり、なかなか研究が進んでいない状況だったのです。

    「糸を吐かせなければ死んでしまう」。これが世界の常識となっていたわけですが、私の研究室では、この常識を覆し、蚕が幼虫から成虫に至るまでの過程をコントロールしつつも、死なない蚕を作ることに成功したのです。

    これらの研究は振り返ってみると、想定よりも比較的早い段階で成し遂げられたように感じています。

    その理由について考えてみると、偶然性や想定外の出来事が連続的に重なりあったことが大きいと思います。

    この想定外の出来事や発見が連鎖してつながっていき、研究はどんどん発展していきました。

    ノーベル賞を取られた学者さんなどの話を聞くと、「たまたま、うまくいった」というようなことをよく耳にすることがあります。私も同じく、結果的に「たまたま、うまくいった」のだろうと思います。

    ですが、彼らも私も決して「運任せ」というわけではありません。

    「たまたま、うまくいった」背景には何があるのか。それは、「とにかくやってみる」という心構えがあるのではないでしょうか。

    たとえば「セリシンだけを作る蚕」の研究は、蚕ではなくモンシロチョウの研究からはじまっています。

    モンシロチョウの体内には、細胞にダメージを与えるタンパク質がありますが、このタンパク質をガン治療に応用できないか、という研究をしていました。

    結果としてその研究はうまくいきませんでしたが、この研究の他の使い道を探ったのです。

    すると、その物質は「タンパク質を作らなくさせる機能がある」ということを偶然にも発見し、蚕に活用してみてはどうか、というアイディアが生まれました。

    この偶然の発見から蚕の研究は始まっています。

    絹糸腺に、先ほどのモンシロチョウのタンパク質を加えると、蚕が吐く糸をコントロールできるようになったのです。

    その結果、絹糸の成分が変わり、セリシンのみを吐く蚕を作ることに成功しました。

    当然、セリシンのみを吐かせることができれば、フィブロインのみを吐かせることもできるだろうという発想になり、フィブロインのみを吐く蚕を作る研究に取り組みました。

    (遺伝子組換えをしたことが分かるよう、特殊なライトを当てると蚕の目が光るように遺伝子操作をしている)

    このように、新しい発見やアイディアと出会ったなら、まずはそれをやってみる。

    これを繰り返していると、自然とこれもできるんじゃないか、あれもできるんじゃないか、と発想がどんどん広がっていきますので、ある意味では自動的にどんどん発展していくような感覚で、気づいてみたら「糸を吐かない蚕」を作るところまで到達できたという感覚です。

    反対に、やってみる前から、それが実現可能かどうかなど論文を読みあさってしまうと、やってもないのに結果が見えたような感覚になり、挑戦しようという気持ちがなくなってしまうことがあります。

    すると、もしかしたら出会えていた想定外の発見に出会う可能性は、極端に減ってしまうでしょう。

    アインシュタインは「自分が何をしているのか分からないという状況こそが本当の科学だ」というような内容の言葉を残しています。つまり、ある成果や目的がわかりきった上で取り組むものは科学ではなく、もはやルーチンワークだという考えです。

    極端な考えかもしれませんが、あながち間違っていないのではないでしょうか。

    先ほどお伝えしたように、私も最初から糸を吐かない蚕を作ることを目的としていたわけではありません。

    たまたま出会った発見、たまたまうまく行った出来事の積み重ねでここまで来ました。

    あらかじめ想定通りにやれたとしても、それが大発見や革新的な技術につながることはないのではないかと思います。

    むしろ思ってもみなかったところに大きな発見があり、それがインパクトのある技術につながっていくのだろうと考えています。

    蚕を中心に、医療、産業、人が活発になる

    これまでお伝えしたように、遺伝子組換えを活用し、蚕をはじめ、いろんな生物を役に立つものに変える。

    これが私の大きな研究テーマといえるでしょう。

    私が学生だった頃、遺伝子組換えがうまく行った事例が世の中にたくさん出てきました。その時代は遺伝子組換えができること自体に評価が集まり話題となりました。

    今は遺伝子組換えを使って、いかに世の中の役に立つものを作れるか。そういうフェーズに来ています。

    そして、私もそう考えている一人です。

    私が作った蚕を飼えば、再生医療につながる有効成分のみを生産してくれます。

    蚕は動物の中で唯一、自然界で人の手を借りずに生きていくことはできない生物であり、人が飼うしかありません。この研究が進めば、蚕そのものをこの世に残しながら、いろんな場面で役に立つ技術になっていくのだろうと思います。そして、蚕が医療などで役立つ素材を生産し続けてくれます。

    そもそも日本の養蚕技術には素晴らしいものがあり、一時期は大きな産業として確立されていました。

    ですので、衰退した今でも、農家には蚕を飼う潜在的な能力がしっかりとあります。倉庫に眠っている器具や道具、蚕を飼う場所、知恵、風土があります。

    そこに私が作っているような新しい機能を持つ蚕が投入されれば、日本全国で需要が生まれ、これまでとはまた違う形で新しい蚕業が勃興していくのではないでしょうか。 20年後など、そう遠くない未来で、農家さんたちが山間地で、医療のための蚕を飼っている風景が当たり前のようになっているのが理想です。

    一方で、壮大な未来を描きつつも、まずは1つ、実社会で役に立つものを作ることが大切だと考えています。

    再生医療分野でこの蚕が使われるためには、私が取り組んでいる研究以外の様々な分野も同時に発展していく必要があります。幹細胞の培養にしても、医者が当たり前のように、それを人体に移植できる段階にはまだまだきていません。

    このように考えると、まず私たちができることは、細胞培養の研究をする研究者の役に立つものを作るということになります。

    セリシン上では細胞が分化しにくいという特性がありますので、企業さんと連携しながらセリシンなどを加えた細胞培養のための培養容器を作るなど、様々なことにチャレンジし、少しでも前進させていかなければならないと考えています。

    研究者プロフィール

    小谷 英治 教授

    こたに えいじ

    主な発表論文・関連特許

    Cytotoxin-mediated silk gland organ dysfunction diverts resources to enhance silkworm fecundity by potentiating nutrient-sensing IIS/TOR pathways.

    著者名 :Ping Ying Lye; Chika Shiraki; Yuta Fukushima; Keiko Takaki; Mervyn Wing On Liew; Masafumi Yamamoto; Keiji Wakabayashi; Hajime Mori; Eiji Kotani
    掲載誌名 : iScience
    出版年月 : 2024年02月

    繊維生物の機能改変と応用

    著者名 :小谷 英治
    掲載誌名 : 繊維機械学会誌
    出版年月 : 2023年11月

    Progress and challenges in production of recombinant Newcastle disease virus hemagglutinin-neuraminidase subunit vaccine

    著者名 : Ping Y. Lye; Eiji Kotani; Mervyn W.O. Liew
    掲載誌名 : Process Biochemistry
    出版年月 : 2023年09月

    カイコ遺伝子組換えによる繭の操作

    著者名 : 小谷 英治
    掲載誌名 : 蚕糸・昆虫バイオテック
    出版年月 : 2022年12月

    Development of silkworm virus-derived, multi-layered microcrystals encapsulating two different proteins in the different layers

    著者名 : Taichi Sonoda; Naohiro Shimada; Keiko Takaki; Eiji Kotani
    掲載誌名 : The Journal of Silk Science and Technology of Japan
    出版年月 : 2022年10月